‘The Book of Tea’_000

book of tea-ikenouchi

<意訳版>

―はじめに―

 奇しくも、来年2013年は岡倉天心先生逝去百年に当たる年である。晩生とて彼の偉業に感嘆するところ頓なる今日この頃である。この記念すべき節目に、天心先生の『茶の本』は初版本が刊行されてからすでに百六年もの歳月が流れたものの、我が国近代に綺羅星の如く現れた一天才の瑕疵なき珠玉の如き一冊であることに変わりはないため、老骨、ここに<意訳版>として拙輩なりに<少しづつ>訳出することとした。とはいえ、翻訳家でもない、在野の一凡夫の訳するものであることを読者諸氏にはご高配たまわりたく、また誤訳・迷訳などがあった場合も、その責めは偏に私一個人に存することをここに明言しておく。またこの訳を<意訳版>とした由は、実は読者を前提とせず、朦朦たる吾がなりにひとり理解を深めんとするものであり、訳文中にやつかれが精神を覚醒させるために無用な文を組み入れ恣意的に訳出しようとしたものである。しかし、もし万ヶ一、当代に於いて、斯様なる蒙昧稚拙な訳文たれど、枯淡な名文たる本文を併記することで、読者諸氏の用に供することたり得ればと、公開するものである。こうして自我の高邁なる理想と血気のみで内容の伴わぬものとなっていることも再三重々ご承知おきいただきたい。
 また昨今、伝統的なものをただ単に「マニュアル化」する風潮が甚だしく、本来あるべき「精神性」が失われて久しい。表層のみの伝統を誇り、権威と家伝・保身に汲汲し、カネ儲けにしがみつく、あるいは情報的知識のみを振り回し、質実の伴わぬ輩こそ、凡夫のもっとも遠ざけるところのものである。この悪潮に「棹さし」て、幾許かその流れに抗するは、船に刻みて剣を求める如き田夫野老の儚き所行と知りつつも、ここに敢えて行わんと欲する遠因でもある。
池ノ内 孝  

▼▽▼ 作者について ▼▽▼▽▼  

岡倉天心〔おかくら・てんしん〕:

 文久2年(1862)2月26日 – 大正2年(1913)9月2日 美術評論家、詩人、思想家。本名は覚蔵(角蔵)、のち覚三と改称した。天心はその号。横浜の本町生れ。父覚右衛門(晩年、勘右衛門)、母このの次男。次弟岡倉由三郎(よしさぶろう)は英文学者。覚右衛門は越前福井の藩主松平慶永(よしなが [春嶽])に仕える下級武士だったが、主命で横浜に出て石川屋の屋号で生糸の輸出業に従事していた。開港時代への熱気立ちこめる横浜で、しかも外国商人の出入りする家に生れたことは天心の生涯を左右する要因になった。天心は幼時から高島英語学校で米人ジェイムズ・バラーに英語を学び大いに熟達した。また、幼時の乳母つねが橋本左内の縁者で幼い天心に左内の人物、思想を鼓吹したこともその人間形成に影響したといわれる。明治6年一家は東京に移ったが、この年、天心はわずか12歳で東京外語学校に入り、8年東京開成学校入学、10年開成学校の東大編入により、天心は16歳でその文学部学生となった。翌11年米人フェノロサがお雇い教師として着任、政治学、経済学、ついで文学、美術を教えた。このフェノロサとの出会いが天心の生涯を左右することになった。天心は12年、18歳で大岡もとと結婚したが、たまたま妊娠中でヒステリーを起した若妻が天心の卒業論文『国家論』を焼却したため、あわてて『美術論』を執筆提出する羽目になったという偶然事も天心の人生コースを大きく曲げたのである。13年天心は19歳の若さで卒業、文部省の官吏になった。最初約二年は音楽取調掛だったが、ついで古美術の調査、保存の仕事に転じフェノロサらとともに古社寺の名宝を探究、17年には法隆寺夢殿の秘仏救世観音(ぐぜかんのん)像を初めて開扉、深い感銘をうけた。19年初めて欧米に出張、20年帰国後、東京美術学校幹事、ついで帝室博物館理事を兼任し、23年には29歳で同校校長となった。天心は西欧美術万能の時流に抗して日本美術の復興に努力を傾け狩野芳崖(かのうほうがい)、橋本雅邦らを教授陣にすえた(芳崖は就任直前病没)が、その結果、同校初期の学生からはのちに天心と行をともにする横山大観、下村観山、菱田(ひしだ)春草らの日本画の偉材が輩出した。だが非妥協的で言行も無軌道な天心には敵も多く、やがて天心の失脚をめざす策動を契機に「美術学校騒動」がおこり、ついに31年、天心は非職処分にされたが雅邦以下多くの教授陣は連袂(れんべい)辞職し、ただちに日本美術院を創設、ここに拠って日本美術の創造的発展の運動をつづけた。これが天心の在野時代の始まりである。しかし美術院の経営は困難をきわめた。そして困難に直面するとそこから脱走するのが天心の癖である。34年11月、天心は突如インド放浪の旅にのぼるが、翌35年インドの大詩人、思想家タゴールと知り合い、その民族主義思想にふれたことが天心の生涯に新局面をひらく契機になる。思想家天心の著名な英文三部作――『東洋の理想』『日本の覚醒(かくせい)』『茶の本』――は、この在野時代の代表作である。その後天心は欧米、中国、インド遊歴や、ボストン美術館顧問をつとめたが、大正2年9月、新潟県赤倉山荘で病没した。51歳。晩年の天心は旧日本美術院所在地(3.11の大津波で崩壊した「六角堂」[平成23年4月再建] を中心とした施設)の茨城県五浦(いづら)海岸で魚釣りに熱中したり、また、英文詩劇『White Fox』(『白狐(びやつこ)』大2)や英詩、漢詩も多くつくった。『天心全集』全三巻。大11、日本美術院刊。『岡倉天心全集』(一)全三巻。昭10―11、聖文閣刊。(二)全五巻。昭14、六芸(りくげい)社刊。(三)全八巻、別一巻。昭54―56、平凡社刊。『岡倉覚三英文著作集』(OKAKURA KAKUZO:Collected English Writings)全三巻。昭59、同所刊。
(「新潮文学倶楽部」より)   

▼▽▼▽▼ 原書について ▼▽▼▽▼  

『茶の本』(ちゃのほん):原題’The Book of Tea’。岡倉覚三(天心)の著した英文の評論。明治39年(1906)、ニューヨーク、フォックス・ダフィールド社刊。昭和4年(1926)に岩波書店から翻訳が刊行された。現在、岩波文庫の一巻として所収されている。伝統的東洋・我が国の民族文化のエッセンスである茶道の精髄、哲学などを西洋文明を批判しつつ、心にくいほど枯れた英文でしたためたもので、欧米の知識人を驚嘆させた名著である。   

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

31dec2012  
 

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大年

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大年に白黒つけて富嶽かな


秋村

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おおとしに しろくろつけて ふがくかな   

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– Mt Fuji is black-and-white
– i should like to tread
– in its manly steps
– all the way along the line   

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(31dec12)  

年の夜

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団欒の灯の色明し年の夜


秋村

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だんらんの ほのいろあかし としのよる   

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– it is the New Year’s Eve
– every family is getting together
– in their illuminated living room warmly   

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(31dec12)  

除夜の鐘

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蕎麦すする調子あはすや除夜の鐘


秋村

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そばすする ちょうしあわすや じょやのかね   

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– i will try to slurp up the buckwheat vermicelli
– with keeping time to the pulse of
– the temple’s bell on New Year’s Eve   

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(31dec12)  

来年の抱負

今年もいろいろとお世話になりました。
どうぞよいお年をお迎えください!

さて、みなさまの、来年の抱負は何ですか。
私は、今年も、来年も

「前へ」やらかします!

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日本コカコーラ ジョージア 2012.12.31 朝日新聞朝刊広告より

小晦日

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惣領の幣もて渡る小晦日


秋村

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そうりょうの ぬさもてわたる こつごもり   

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– the oldest
– put his heart and soul into
– decorating taboo ropes
– for fear of the one-night adornment
– that is a contraindication of Toshikami   

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〔難読語・難解語など〕

こつごもり【小晦日】:大晦日のその前日のこと。現代では
12月30日の夜のことを言う。いわゆる最近では「ニュー・イ
ヤーズ・イヴイヴ」のことである。

〔参考〕
一夜飾りというのは、門松や注連飾りを大晦日に飾りつける
ことだが、このことは忌むべきこととされている。歳神の信
仰は古く中国から伝わったものだが、この神様は翌年の福を
携えて、12月31日には各家庭に到着するそうで、お迎えが間
に合わないと、その家には立ち寄らず福を擲つことになると
いうわけで、金運福利をことさらに重視する中国人たちの禁
忌とされ、その後日本に伝わり、神道と習合して定着した。
そこで前日の小晦日の30日に、神を迎える準備のために家の
惣領(家督を継ぐもの、家長)が神迎えのために新たな注連縄
や幣を神棚や門口に飾り付けることになっていた。またこの
歳神は元旦の零時になると、迎えてくれた礼に各家庭に福を
置いて天に帰るのだそうで、この間は家人は惣領を中心に家
にいて、この福の神がすっかりお帰りになる朝にまで、潔斎
して神を祀ることがしきたりになっていた。今は廃れた。

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(30dec12)  

門松立つ

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削竹の濡れ立ち門の松は雨


秋村

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そぎたけの ぬれたちかどの まつはあめ   

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– we have only two days left this year
– regional first families get
– decorations and preparations in readiness
– for the New Year’s Days and visitants   

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(30dec12)  

暦果つ

2012123001

またしても果つる暦を看取りけり


秋村

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またしても はつるこよみを みとりけり   

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– we have been for one year
– this year’s calendar proceeds me
– going through its own role once again   

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(30dec12)  

年守る

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守るものぞみいだしみれば年ひとつ


秋村

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もるものぞ みいだしみれば としひとつ   

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– how many times
– will i pass my time
– in the hopeless year-end alone
– somebody up there loves me   

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〔難読語・難解語など〕

としもる【年守る】:大みそかの夜、家中の者が眠らずに
夜明かしして元旦を迎えること。としまもる(年守る)、
としおくる(年送る)とも。

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(29dec12)  

歳晩

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歳晩や闕くるも月の透きとほす


秋村

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さいばんや かくるもつきの すきとおす   

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– it is the end of the year
– i am unsatisfied with the result of this year
– and the moon starts the waning phase
– though the moonlight enlightens me on my negligence   

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〔難読語・難解語など〕

さいばん【歳晩】:年の暮れ、年末、歳末のこと。

かく〔闕く〕:必要なことを抜かす。おろそかにする。
また、満月から月が次第に小さくなって行くこと。

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(29dec12)