Mi-Ni-Shu [壬二集] 001

2014041103

花をのみ

まつらん人に

やまざとの

ゆきまの草の 春をみせばや

藤原家隆

(壬二集)

————————————————————————————————————

know-it-alls sing others praises
for the cherry flowers
that is the most beautiful
among all flowers in this world
they are eagerly waiting for the day to come
and then they lark it up under the sakura
if the men fool the intended public
i would go along with that’s OK
though the other men who are forethoughtful
know where to find the real spring
that is a tiny flower of no mark
that is the number one standard of excellence
that is blooming between melting snow blocks
at the silent valley
in the snowy county side ashake

Fujiwara no Ietaka [藤原家隆, 1158 – 1237]
aka. Mibu no Nihon [壬生二品] 、Mibu no Nii [壬生二位] )

Mi-Ni-shu (Fujiwara no Ietaka’s verses collection, 1245)

Translating by Takashi Ikenouchi

————————————————————————————————————

若草 (わかくさ) [Waka-Kusa:the young grass]

————————————————————————————————————

(February 28, 2015)  

‘The Book of Tea’_018 (§2-01)

book of tea-ikenouchi

II. The Schools of Tea ― 茶の湯を学ぶ

018 (§2-01)

Tea is a work of art and needs a master hand to bring out its noblest qualities. We have good and bad tea, as we have good and bad paintings–generally the latter. There is no single recipe for making the perfect tea, as there are no rules for producing a Titian or a Sesson. Each preparation of the leaves has its individuality, its special affinity with water and heat, its own method of telling a story. The truly beautiful must always be in it. How much do we not suffer through the constant failure of society to recognise this simple and fundamental law of art and life; Lichilai, a Sung poet, has sadly remarked that there were three most deplorable things in the world: the spoiling of fine youths through false education, the degradation of fine art through vulgar admiration, and the utter waste of fine tea through incompetent manipulation.   

018 (第二章 第一節)

 茶の湯というものは一芸であり、それぞれの茶のもつ品位・品格を最高度に引き出すためにはどうしてもそれに精通した名手の技が必要になります。しかしたとい名手であろうと美味くもなれば不味くもなる。それは一流の絵描きでも名作もあれば駄作もあるのと同じことです。まあ、後者の場合が往々であります。こうすれば完璧なものを点てられるなどという秘訣なぞありはしません。15世紀のイタリアの画家ティツィアーノや日本の禅僧で水墨画家の雪舟の作品を他者が描こうとしても、彼らの絵画制作には一定のルールがないのですから、描けるものではないのと同じことです。

 茶葉を茶の湯のために製り上げるにも、それぞれの茶葉の性質やその年の茶の作柄の出来不出来によって各々異なります。また茶を点てるに用いる水、湯の沸かし方、温度が点茶の味覚に決定的な影響を与えます。さらに点てたもので何を伝えようとするか、すなわち茶席で点てる茶で何を語ろうとするかそれ自体も、その点てる人、その時節、時々によって個別の表現方法を持っているのですから、こうした千差万別の情況を一元化する奥義が茶の湯にはあるはずもありません。

 真の美とは常にこうした千差万別の中に存在するのであって、壺の中に美が入っているよ、だから覘いてごらん、なぞと言われて、覘いた壺の中なぞに入っているほど甘くはありません。そんなものはみな与えられた美で、美とは言いません。美とは千変万化の中から自ら見出すものなのです。それが審美眼です。

 さて、こうした芸術と人生にかかわる単純で根本的な法則を悟れないばかりに社会は常に誤りを犯してきたわけですが、それで私たちはどんなに苦悩してきたことでしょう。李之来という中国の宋の時代の詩人は、すなわち、一つ、誤った教育によって素質のある有望な若人をてんで駄目な人間にしてしまうこと、一つ、低俗で粗野で俗悪で教養のない褒めそやしや下馬評によって素晴らしい芸術をすっかり台無しにしてしまうこと、一つ、茶の湯・茶の美とは何たるかを知らぬものが点てることで素晴らしい資質を備えた茶を空しくも無駄にしてしまうこと、この三つこそが、この世で取りかえしのつかぬ最も嘆かわしいことである、と憤慨して述べています。   

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

16feb2013  

‘The Book of Tea’ §1

book of tea-ikenouchi

————————————————————————————-
『茶の本』意訳・通読版 第一章
         ‘The Book of Tea’ §1

————————————————————————————-
      著:Kakuzo Okakura
      意訳:Kou Ikenouchi
————————————————————————————-

    1 章 17 節(訳文のみ)です。
    よろしければお時間のある折、
    是非、ご一読ください。

https://kouikenouchi.wordpress.com/『茶の本』-昇順)

————————————————————————————-

‘The Book of Tea’_017 (§1 fine)

book of tea-ikenouchi

I. The Cup of Humanity ― 人間の器

017 (§1 fine)

The heaven of modern humanity is indeed shattered in the Cyclopean struggle for wealth and power. The world is groping in the shadow of egotism and vulgarity. Knowledge is bought through a bad conscience, benevolence practiced for the sake of utility. The East and the West, like two dragons tossed in a sea of ferment, in vain strive to regain the jewel of life. We need a Niuka again to repair the grand devastation; we await the great Avatar. Meanwhile, let us have a sip of tea. The afternoon glow is brightening the bamboos, the fountains are bubbling with delight, the soughing of the pines is heard in our kettle. Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.   

017 (第一章完)

 現代の「人の世」は、「カネと力(ちから)」に目が眩んでいます。それはあたかもギリシア神話に出てくる単眼の怪力の巨人、錬金術師のキュークロプスのような魔物に支配されているかのように見えます。

 世界は、己が快楽の高みを目指した自己利益のための短期的諸活動に合理性を求め、他は他として一線を画し、そこから得られた果実を自分自身の最大幸福として偏に己に還元する、いわゆる「エゴイズム=自己中心主義」と、他を押しのけても人目を惹き、世間的な名誉・名声や富、権力を得たいという自尊自得の上流渇望に基づく低劣で胡散臭い自惚れに塗れた「俗気」の支配する闇に覆われています。

 損益計算書とバランスシート(貸借対照表)の結果、つまりカネがカネを生むことを重んじる現代は、世を育て進化させるためのはずの知見知識さえも今では地に墜ち、行き過ぎた風潮、すなわち、悪巧み、悪行、悪事、悪心にさえも大いに用いられるもまた必要悪と是認され、清濁併せのむを然る事として首肯するを社会発展也などと曲学阿世の曲論を、あたかも正論の如く宣う一方、世直しや善行や良心のためにはなかなか積極的に用いられようとはしません。また博愛を発意とし、窮民や貧者、社会的弱者の救済や社会の善的発展を目指す慈善、非営利、公益などと銘打つ諸活動も実は、結果的には費用対効果、費用対満足を実現する簿記上の手法の一つにほかなりません。つまり「カネと力」にならぬことは行われにくいのです。

 神通力が得られるという「如意宝珠」が投げ込まれた高波の逆巻く荒れ狂う海に、この珠を求め雌雄争う二頭の龍のごとく、洋の東西が戦い合うなどというのははなはだ無益なことです。私たちは日露戦争を経験しました。あのように悲惨きわまりない無慈悲で無益な阿鼻叫喚地獄が再びもたらされないようにするために、今、あの、悲嘆に暮れる黄帝を立ち直らせ、こなごなになった天球を補修した東の海に浮かぶ国の女王「女娲」が再び必要なのです。そう、斯く人類の窮状を救い、無量無辺に摩訶不思議なる霊力を及ぼされる菩薩、インドではアバターラ、アバターと呼ばれる権化の降臨を我々は待望しているのです。

 さて、私たちを困難から救済してくれる斯様な崇高なる菩薩が顕現されるまでのひととき、いかがです。我が拙き手にて恥ずかしながら茶を一服お点て申し上げ進ぜましょう。

 ご覧なさい。露地の向こう。左様、あの緑輝く竹林。燦々と降りそそぐ午後の日差しに照り映えて美しゅうございますな。蹲踞(つくばい)に水は楽しげな音を立て、うたかたは生まれては消え、その縁を溢れ伝い閑かに流れ、そして下り、庭や木や苔や草花をまめやかに潤しています。耳を澄ましてご覧なさい。松籟(しょうらい)のようですな。はは、茶庭に耳を澄まされましたか。誠に松の梢を過ぎ行き枝葉を鳴らす風もこれまた趣があります。いやいや、たとい風のそよとも吹かずとも、風炉の五徳に乗りたる釜の湯が沸き立ち蓋を鳴らす音に耳傾ければ、これまた松籟の如し。その真率、幽かと謂えど爽なること。斯様、儚きことどもの中に共に寂かに気息して、愚者、もちろん我ことですが、千慮必有一得の境地に、もしや美(うま)しき愚昧、さて、あるやなしや、つきましては長居もまた可、善哉。さあ、いざ一服奉りましょう。   

第一章 完

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

02feb2013  

‘The Book of Tea’_016

book of tea-ikenouchi

I. The Cup of Humanity ― 人間の器

016

The Taoists relate that at the great beginning of the No-Beginning, Spirit and Matter met in mortal combat. At last the Yellow Emperor, the Sun of Heaven, triumphed over Shuhyung, the demon of darkness and earth. The Titan, in his death agony, struck his head against the solar vault and shivered the blue dome of jade into fragments. The stars lost their nests, the moon wandered aimlessly among the wild chasms of the night. In despair the Yellow Emperor sought far and wide for the repairer of the Heavens. He had not to search in vain. Out of the Eastern sea rose a queen, the divine Niuka, horn-crowned and dragon-tailed, resplendent in her armor of fire. She welded the five-coloured rainbow in her magic cauldron and rebuilt the Chinese sky. But it is told that Niuka forgot to fill two tiny crevices in the blue firmament. Thus began the dualism of love–two souls rolling through space and never at rest until they join together to complete the universe. Everyone has to build anew his sky of hope and peace.   

016

 中国や朝鮮では、中国古代の伝説の王、黄帝の時代の神話・伝説を起源にして、後の老荘思想を中心に儒教、民間宗教及びその他の宗教の長所を習合させた道教(タオ)という宗教が盛んです。もちろん日本にも伝わっています。

 タオは、この伝説の王・黄帝を天として、陰陽五行易学、因果律と宿命・運命論に基づき、「忘我、無為」「無為而無不為」「心静如水」などという言葉で語られる無為自然思想と、不老不死を求める仙界・神仙渇望に満ちた世界観を持っています。これは長生と財徳、均衡的共生を重んじ、故に呪詛と託宣と方術を信奉するといった社会風潮をもたらし、その波動が行き詰まると、社会は革命という天の命運によって変革されるという社会的宿命・運命論にも繋がっています。

 このタオの教義をざっとわかりやすく言えば「すべてのものごとは目的も目標もない存在のみであり、その存在には始まりも終わりもなく、ただ変化が均衡しながら運動し、それが先天的な宿命と後天的な運命によって明暗を左右されて波動している」という考えです。

 さらに頑是無い説明を加えましょう。すなわちタオとは「人智の及ばぬこととは人智の及ばぬことそのものであり、人智の及ばぬが故に人智が及ばぬのである。人智が及ばないのだから、人智を及ぼそうとしても(たとえば、善悪、優劣、上下、選ぶも選ばれぬ、などなど)それは無駄なことである。ただし、人智の及ばぬそれ(天の意志のようなもので自無為自然な何かの運動)には波(運命・宿命)がある。だから人はこの人智の及ばぬその波に乗って、人智の及ばぬ波の力に従い、それを利用することが肝要だ。すなわち人智の及ばぬそれの波に乗ればよい。人生とはすなわちこのことであり、その波に乗るも乗れぬも落ちるも乗り切るも利用するもせぬも、これまた人智を超えたものである。だからジタバタしても始まらない。自然に任せるしかない。したがって人は人智の及ばぬということをよくよく信じ理解し、人智の及ばぬそれの波(宿命・運命)の大きさと動きとリズムと力を知り見分けてバランスよく乗ることができさえすれば、すなわち宿命・運命をさえも左右できる。だからそれに乗る直感(=理)とワザ(方術)を身につけよ。さすれば、すなわち、それを創造した天(無為自然なる何か)に限りなく近づける」とする宇宙・宗教・社会・人生論なのです。

 道教を信じる人々は以下のように説きます。
 
 「さて、まだ私たちの世界が混沌(始まりのない偉大なる始まり)にあったころ、天にあって魂に命を与え「陽気」を司る黄帝と、地にあって万物を支配し「陰」を司る地帝(祝融)の二人の帝がせめぎ合っていました。このせめぎ合いはとどのつまり、黄帝(天皇大帝<天帝>とも言います)が、「陰気」と地の魔である地帝を打ち負かし決着が付きます。しかし、その際、敗れた巨人・地帝は臨終の苦しみに悶絶し、太陽のある天球にその頭を激しく打ち付け毀し、その蒼穹のかけらの中をのたうち回りました。ああ、悲しいかな、こうして天球をなくした星々はその身を隠す場所を失い、地帝によって打ち割かれた底知れぬ暗闇の深淵に、月は行き場を失い当てどなく彷徨いました。

 こうして己が勝利により皆が苛まれる姿を目前にし、自らの無力に絶望した黄帝は、この地帝の毀して崩れ落ちた天球を修復できるものがないか、あらん限り八方手を尽くして探し回りました。しかし残念ながら帝の願いを叶えられるものを見出だすことはできません。

 帝がこうして困り果てていた折、遙か東の海の彼方の国の女王で、麒麟の角と龍の尾を持ち炎の鎧を身に纏った女神、女娲(にゅうか)が現れます。女娲は己が魔法の大釜で五色の虹を溶かし出し、中国の毀れた空を修復します。ところが、女娲はその際、蒼天の裂け目を二つうっかり埋め残して作業を終えてしまいました。その埋め忘れた二つの裂け目とは、二つの愛、すなわち希望と平和でした。

 こうして希望と平和の二つの魂はそれぞれ決して休むことなく大空を自由気ままに駆け巡り、離ればなれな状態が始まりました。ただし、ということは、天のこの二つの裂け目を埋める、すなわち平和と希望で裂け目を埋めることができさえすれば宇宙はまた再び一つにまとまり完成するのです。ですから、私たちは天に欠けているもの、すなわち平和と希望を自ら胸に持って、未完成の大空を完成させなければならないのです」と。   

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

02feb2013  

‘The Book of Tea’_015

book of tea-ikenouchi

I. The Cup of Humanity ― 人間の器

015

Charles Lamb, a professed devotee, sounded the true note of Teaism when he wrote that the greatest pleasure he knew was to do a good action by stealth, and to have it found out by accident. For Teaism is the art of concealing beauty that you may discover it, of suggesting what you dare not reveal. It is the noble secret of laughing at yourself, calmly yet thoroughly, and is thus humour itself,–the smile of philosophy. All genuine humourists may in this sense be called tea-philosophers,–Thackeray, for instance, and of course, Shakespeare. The poets of the Decadence (when was not the world in decadence?), in their protests against materialism, have, to a certain extent, also opened the way to Teaism. Perhaps nowadays it is our demure contemplation of the Imperfect that the West and the East can meet in mutual consolation.   

015

 茶の愛飲家を自称する作家・エッセイストのチャールス・ラムは自著の中で「人知れず為す善行、そして無心の中にそれを見いだすこと、これらが大いなる喜びであることを茶は私に教えてくれました」と記しました。

 ここに「茶の湯=茶道」の真髄が語られています。すなわち、「茶の湯」とは、思いや人為を敢えて表に出さず暗示するものであり、またそうした思いや人為がこっそり仕込み隠されたものをその美の内に探り、見出だす芸術なのです。「茶の湯」とは静かな、とはいえ徹底して自嘲的な気高き自得、そう、「内証」(自分の心のうちに真理を体得すること。また、その悟り。内心の悟り)なのです。それゆえ「茶の湯」はそれ自体、「諧謔」(「人生とは真面目で真剣なものである一方、おもしろおかしい滑稽このうえないもの」と知ることから得られる達観的な考え・見地・姿勢・言動のこと)であり、その自嘲的な笑いは人生哲学が籠められた古拙な微笑み(アルカイック・スマイル)として姿を現します。

 この意味で、たとえば、小説家のウィリアム・メイクピース・サッカレー、そしてもちろん劇作家・詩人・俳優のウィリアム・シェイクスピアといった本物の風流人たちは「茶の哲人」と呼べるかもしれません。また、退廃的で虚無的・耽美・病的なデカダンス運動が(まあ、日露戦争という近代の阿鼻叫喚を知らぬ西欧では、退廃的と言っても名ばかりの観念的な世界に他ならなかったと思えますが)19世紀末に一世を風靡しました。この世紀末デカダンスの詩人たちは、近代の物質主義への抵抗の一環として、ある意味、「茶の湯」に運動の方向を求めたことがありました。

 二十世紀初頭の今日、洋の東西が互いに足りぬ点を補い合うという考えは、たぶん、まだ西洋人と東洋人がなし終えていないことをなすための冷静で慎み深い直感的認識、すなわち茶事の観想(真理・実在を他の目的のためにではなく、それ自体のために知的に眺めること。また、一つの対象に心を集中して深く観察すること。理想の様相を想起すること)のひとつでしょう。   

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

28jan2013  

‘The Book of Tea’_014

book of tea-ikenouchi

I. The Cup of Humanity ― 人間の器

014

There is a subtle charm in the taste of tea which makes it irresistible and capable of idealisation. Western humourists were not slow to mingle the fragrance of their thought with its aroma. It has not the arrogance of wine, the selfconsciousness of coffee, nor the simpering innocence of cocoa. Already in 1711, says the Spectator: “I would therefore in a particular manner recommend these my speculations to all well-regulated families that set apart an hour every morning for tea, bread and butter; and would earnestly advise them for their good to order this paper to be punctually served up and to be looked upon as a part of the tea-equipage.” Samuel Johnson draws his own portrait as “a hardened and shameless tea drinker, who for twenty years diluted his meals with only the infusion of the fascinating plant; who with tea amused the evening, with tea solaced the midnight, and with tea welcomed the morning.”   

014

 心の乱れを鎮静するばかりか、しかも醇化することができる、この「茶」の味覚には何とも得も言われぬ魅力があります。西洋の粋人たちは、彼らの思想の香気と茶の香りをあっというまに混ぜ合わせてしまいました。

 飲めば酔い人を傲慢にさせるワイン。啜るうちに覚醒して自我の意識を過敏にし激昂しやすいコーヒー。ばからしいほど頑是ないココア。茶にはこうした他の飲料が持つ欠点がありません。

 『スペクテータ』紙の1711年の記事にはもう次のような文章が掲載されています。「小生、然するところ斯くして、毎朝のこと、茶とパンとバターの食事に一時間を費やしておる次第。日々規則正しき生活を送らるる謹厳なるすべてのご家庭に、己が行いしこの善習慣、是非試みてご覧ぜよ。なおその折、茶道具一式とて欠かすべからざるその内なる一品、また茶事に常に用うるものあり。はて、すなわち、それは何ぞと人問わば、この新聞、『スペクター』なり。この新聞、茶道具一式の内なるものと、必ずご購読なされよとお勧め申し上げる次第」と。

 警世家で才人のサミュエル・ジョンソンは、「僕は茶の常飲者でね、茶に対してはまったくもってふしだらなんだよ。僕はこの興味が尽きぬ植物を煎じた飲み物、二十年間ね、これ一筋でね、食事をこれで薄めていただいてきたんだ。夜となれば茶を愉しんでね、真夜中には心や体を茶で癒し、そしてね、君、茶を以てして朝を迎えてきたんだよ」と自らについて弁じています。  

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

27jan2013  

‘The Book of Tea’_013

book of tea-ikenouchi

I. The Cup of Humanity ― 人間の器

013

Like all good things of the world, the propaganda of Tea met with opposition. Heretics like Henry Saville (1678) denounced drinking it as a filthy custom. Jonas Hanway (Essay on Tea, 1756) said that men seemed to lose their stature and comeliness, women their beauty through the use of tea. Its cost at the start (about fifteen or sixteen shillings a pound) forbade popular consumption, and made it “regalia for high treatments and entertainments, presents being made thereof to princes and grandees.” Yet in spite of such drawbacks tea-drinking spread with marvellous rapidity. The coffee-houses of London in the early half of the eighteenth century became, in fact, tea-houses, the resort of wits like Addison and Steele, who beguiled themselves over their “dish of tea.” The beverage soon became a necessity of life–a taxable matter. We are reminded in this connection what an important part it plays in modern history. Colonial America resigned herself to oppression until human endurance gave way before the heavy duties laid on Tea. American independence dates from the throwing of tea-chests into Boston harbour.   

013

 現在、世に普及している良品と同じように「茶」も社会に認められるためには通らねばならぬ踏み絵がありました。この東洋の飲料の普及に拒絶反応が現れたのです。

 たとえば、ヘンリー・セイヴィルという人は、「茶」を飲み続けると、西洋人の男性は(東洋人のように)チビになり、折角の(彫りの深い端正な)容貌が失われ(東洋人のような平たい顔になって)、また女性はその美貌を損なうはめになると思われる、と述べる(1678年)など極端な説を掲げるものもありました。また「茶」は当初、1ポンド当たり約15~16シリングと、一般庶民の普段使いにはほど遠い高価なもので、それが普及を妨げていたばかりか、「畏くも女王陛下と御貴族の高雅なる御接待や御もてなしのために特別に製造せられし御用達、また斯様なる賢き御方々のために特別に調製せられし贈答品なり(おまえら愚かな下々が口にできるような代物ではない)」と銘を打って販売されていたのです。

 しかし、17世紀半ばにもたらされた喫茶の習慣は、こうした普及を妨げる逆風をものともせず、瞬く間に広まって行きました。それまでロンドンの社交場だったコーヒー・ハウスは、18世紀前半には、事実上、茶を提供するティー・ハウスへと変貌し、アディソン*やスティール**といった多士済々の文化人が「一服の茶」を介して時を過ごす社交場となり、社会に受け入れられて行きます。こうして「茶」が英国社会になくてはならない「生活必需品」となるや、国は重要財源として「茶」に課税しました。

 さて、これに関連して、私たちは「茶」が近代史において重要な役割を演じたことについて思い起こさずにはいられません。すなわち、それまで本国の抑圧に耐えに耐え抜いていた英領アメリカが、この茶税導入を契機についに独立の反旗を翻すことになった事件、「ボストン茶会事件」***です。ボストン港で茶箱を海に放り捨てたこの事件によって、アメリカ独立革命の火蓋が切られました。


* アディソン Joseph Addison (1672‐1719) :英国のエッセイスト・詩人。親友 Steele と共に The Spectator (1711‐12, 14) を創刊し、二人で多数の随筆を書いた。

** スティール Sir Richard Steele (1672‐1729) :アイルランド生まれの英国の文人・政治家。The Tatler (1709‐11) を創刊。その後、親友Addison とともにThe Spectator (1711‐12, 14) を創刊した。

*** ボストン茶会事件:植民地商人によって横行していた茶の密貿易によって、東インド会社は茶の滞貨に苦しんでいた。1773年、本国のノース内閣は、植民地商人による茶の密貿易を禁じ、東インド会社に茶の独占販売権を与える茶税法を制定した。密貿易を断たれ経済的苦境に立たされた米植民地住民は、各地で茶の荷揚げ阻止や茶販売人(専売商)の辞退強制などの直接行動に出た。12月16日、ついに反英急進派の一団がインディアンに扮装し、米東海岸マサチューセッツのボストン港内に停泊中の東インド会社の3隻の船に乗込み、342箱 (1万 50000ポンド分) の茶を海に投棄した。英国本国政府はこれに激昂。翌1774年、ボストン港閉鎖法など「強圧諸法」を制定し、米植民地住民に損害賠償を求めた。ボストン市民はこれを拒否、マサチューセッツ住民や他の米植民地住民もこれに同調、大陸会議を結成して抵抗した。当初、米国の独立は英国本国内での言論による改革運動で得ようとする穏健なものであったが、この事件は、この無血・穏健な独立運動が、英国からの分離・独立を力で勝ち取ろうとする「革命運動」へと転化する契機となった点で重要な意義があるといわれている。  

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

27jan2013  

‘The Book of Tea’_012

book of tea-ikenouchi

I. The Cup of Humanity ― 人間の器

012

The earliest record of tea in European writing is said to be found in the statement of an Arabian traveller, that after the year 879 the main sources of revenue in Canton were the duties on salt and tea. Marco Polo records the deposition of a Chinese minister of finance in 1285 for his arbitrary augmentation of the tea-taxes. It was at the period of the great discoveries that the European people began to know more about the extreme Orient. At the end of the sixteenth century the Hollanders brought the news that a pleasant drink was made in the East from the leaves of a bush. The travellers Giovanni Batista Ramusio (1559), L. Almeida (1576), Maffeno (1588), Tareira (1610), also mentioned tea. In the last-named year ships of the Dutch East India Company brought the first tea into Europe. It was known in France in 1636, and reached Russia in 1638. England welcomed it in 1650 and spoke of it as “That excellent and by all physicians approved China drink, called by the Chineans Tcha, and by other nations Tay, alias Tee.”   

012

 ヨーロッパ人の手になる最も初期の茶に関する記録は、「879年以降、中国(唐)の広東の歳入は、塩と茶の課税によって賄われている(注*)」と書かれたアラビアへ行った旅行者による報告書だと言われています。また、「東方見聞録」で著名なイタリア人の旅行家マルコポーロは、1285年、中国(元)の蔵相が茶の税率を専断したため罷免された、と記録しています。

 極東(東アジアと東南アジアの地域)について西欧人がより知識を持つようになったのは、大航海時代(「発見時代」とも呼ばれています)のことです。16世紀の終わり頃(日本は戦国時代末期、中国は明末)、オランダ人が「東洋には密林の樹木の葉を用いて喫する心地よい飲料(=「茶」のこと)がある」という報告を西洋にもたらしました。以後、1559年にジョバンニ・バティスタ・ラムシオ(イタリアの地理学者で旅行家)、1576年にポルトガル人のL.アルメイダ、1588年のマッフェノ、1610年にはタレイラら西欧の旅行家たちも茶について言及した報告を行っています。そして、タレイラが東洋の茶の報告をしたこの年、1610年、オランダ東インド会社の商船がヨーロッパに茶を初めて持ち込んで後、1636年にはフランス、1638年にはロシアに伝播しました。

 英国では、1650年、「この気味合い高き崇高な、しかも、お医者殿が青ざむるほど健康に優れしと太鼓判を押されたる、かの地の果て海の彼方の極東・中国よりはるばる伝来したるこの飲みもの、これ何と申すと人問はば、教えて進ぜん、彼の国シーナの人々、これを<ッチャー>、またその他アジアの国の人々が<チャイ>あるは<テー>と申すものなり」と喧伝され、茶の風習は英国社会に歓迎され、溶け込んで行きました。

注*
このころ中国は「唐」の末期で、黄巣の乱(875~884)によって国内は混乱を極めていた。この乱の首謀者の王仙芝も黄巣も闇塩の密売商であった。また日本は、平安京に遷都(794)して80年ほどが経過し、国風文化の栄える藤原摂関政治が始まった頃の平安時代初期に当たる。また当時(7世紀から15世紀末まで)のアラビアは、インドの西部からアラビア半島・アフリカ北部・イベリア半島まで版図としたサラセン(イスラム教徒)が支配していた地域の一部で、ムハンマド(マホメット)の後継者(カリフ)が、その地位を得るたびに王朝の交替が繰り返されていた。  

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

25jan2013  

‘The Book of Tea’_ こぼれ話02

book of tea-ikenouchi

こぼれ話02 和敬清寂〔わけいせいじゃく〕

2013-01-19_025044

 もともとは茶道精神を説くための禅語。大応国師が中国から帰朝の折、
台子 (だいす=茶の湯で使う四本柱の棚のこと) とともに伝えた劉元甫著
の『茶堂清規』3巻のなかにある表現。その後、『茶祖伝』(1730刊) に、
大徳寺23世大心義統巨妙子が元禄12(1699)年記の序に、将軍足利義政が、
村田珠光に向かって、茶の何たるかを尋ねたところ「一味清浄禅悦法喜」の
境地であるといい、茶は礼を本義として「謹兮、敬兮、清兮、寂兮(きん
なり、けいなり、せいなり、じゃくなり)」と申し上げた、と書かれてい
る。その後、千利休がこの本を踏まえて、茶道精神として「今茶之道四焉、
能和能敬能清能寂、是利休因茶祖珠光答東山源公文所云(今、茶之道に
四あり、和を能く敬を能く清を能く寂を能くす 利休是れ、茶祖珠光の
東山源公の公文所にて云ふに因る)」として四諦(四規)を茶の湯の根本
に据えたということになっている。ここでは「謹」は「和」に換えられて
いる。それが人口に膾炙された。則ち、茶道で主人と客とは心なごやかに
お互いをうやまい(和=お互いに仲良くすること 敬=お互いに敬いあう
こと)、茶室、茶道具、茶器、茶庭、露地などは清楚・質素を心がけること
(清=見た目だけでなく心の清らかさのこと 寂=質実を重んじ、どんな
ときにも動じない心であること)。

 ちなみに利休はこの「四規」に他に接する場合の心構え「七則」を加え、
「四規七則」として、これも人口に膾炙されている。七則とは「茶は服の
よきように点て、炭は湯の沸くように置き、冬は暖かく夏は涼しく、花は
野にあるように入れ、刻限は早めに、降らずとも雨具の用意、相客に心せ
よ」の七つ。

〔参考〕『茶祖伝』早稲田大学所蔵(写本)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo09/wo09_02229/wo09_02229.html

▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼  

19jan2013