01 米袋の君

原作者不明
編作:巖谷小波
日本語訳、潤色:池ノ内 孝

<朗読>  その1 / その2

 昔、昔、俵藤太、またの名を「米袋の君」といわれた強者がおりました。勇猛果敢で国中に名をはせたお方で、実のお名前は藤原秀郷とおっしゃいました。ではなぜ「米袋の君」と呼ばれるようになったのか、そのお噺しをいたしましょうか。

 ある日のこと、秀郷は冒険の旅に出かけました。このお方は根っからの武人で、都の退屈な生活にはとても耐えられなかったのです。二振りの太刀を腰に佩いて、手ずから自分の背丈よりも長く大きな弓を取り、背中に矢筒をつり下げると、供の家臣も連れずに、たった一人で旅立ちました。

 都を出てまもなくのこと、秀郷は美しい琵琶湖に掛かる「勢多の唐橋」までやって来ました。その橋を渡ろうとすると、何と千年松の大木のような太い胴をした、大きな大きな大蛇(おろち)が橋の巾一杯に横たわって、蜷局を巻いて、行く手を遮っておりました。その大きな手の大きな爪の一つを橋の片側の欄干に掛けて、またもう一方の欄干には立派なお寺の屋根瓦のような鱗に覆われた長い尾を覆い被せ、小鼻から火と煙を吐き出しながら静かに息をして、眠っているかのように見えました。

 秀郷は彼の行く手に横たわっている恐ろしい大蛇を見つめながら行き方を思案しました。というのは冒険の旅を続けるには、今来た道を戻って別の道を探すか、あるいはこの大蛇の身体の上を乗り越えて先に行くかどちらかを選ばなければならなかったからです。

 秀郷は勇敢な人でしたから、怖れを棄てて大胆にも大蛇を乗り越えて前に進む方を選びました。

 バリバリ、バリバリ!

 秀郷は大蛇の身体を覆う鱗の上を音を立てて歩みます。その蜷局(とぐろ)の中を通る間も、行く手以外目もくれずにどんどん進んで行きました。

 大蛇の身体を残り数歩で乗り越えようしたとき、誰か秀郷を後から呼び止めるものがありました。その声に振り返ってみて秀郷は驚きました。今渡ってきた大蛇の身体はすっかり消えてなくなっていて、その身体のあったその場所に、礼を尽くして、頭を垂れている変わった姿の人があったからです。その人は赤い髪を肩まで靡かせて、頭の頂には竜をかたどった冠を載せ、貝殻の柄の水色の束帯を身に纏っていました。秀郷はその相手がただ者でないことにすぐ気がついて、その奇妙な出来事を怪訝に思いました。

 <これほどの短い間に大蛇はいずこに消え失せたのであろう。いや、それとも大蛇はこの人に変化したのであろうか、だとしたらこうしたことどもは何を意味しているのだろう?>

 秀郷がこう考えていると、その人は橋を渡って、秀郷の前にやって来るではありませんか。

 「今私を呼び止めたのはあなたですか」

 「はい、左様でござります。私です」

 と、その人は答えました。そしてこう言いました。

 「私はあなた様にどうしてもお願いしたいことがございます。その願いを聴いていただけませんでしょうか」

 「もし私の力でできることであるならば・・・」

 秀郷は答えました。

 「しかし、いずれにせよ、まず、貴方はいったいどなたなのですか」

 「私はこの湖の大蛇の長です。住まいはこの橋の真下の水底にございます」

 「で、何故に私を呼び止められたのですか」

 と、秀郷は尋ねました。

 「あの山の向こうに住む我が一族の不倶戴天の敵、大百足(おおむかで)を、あなた様に退治していただきたいのです」

 そう言って大蛇の長は湖の対岸にある高嶺を指さしてこう続けました。

 「私は長らくこの湖の水底に住んでいて、子や孫もあり大きな家族を営んでいます。ところがここしばらくの間、私たち家族は恐ろしい目に遭っているのです。大百足のバケモノが我が家を見つけて、夜な夜なやって来ては、家族を一人づつ攫ってゆくのです。家族を救うのには私ではとても力が足りません。もしこの先もこれが続くようであれば、私は子どもらを一人残らず失ってしまい、私自身もまたきっとそのバケモノの餌食になってしまうにちがいありません。このように私はとても不幸せです。こうなった以上、どうしても人様に助けを求めようと、こう決心をいたしました。そして私はあなた様がご覧になったようにわざわざ恐ろしい大蛇の容に身を変えて、どなたかとても強固な意思を持つ勇敢なお方が通りかかるのを望みながら、来る日も来る日も橋の上で待ち続けていたのでございます。私を不憫だとお思いくださいまし。私を、私の家族をお助けくださいませぬか。私の、私の一族の仇、あの大百足を退治していただけませんでしょうか」

 この大蛇の長の話を聞いて秀郷は可哀想に思いました。そこで、すぐにできるだけのことをして助けてあげよう、と約束をしました。秀郷はその相手を一息に倒してしまおうと考えて、大蛇の長に大百足の居場所を尋ねました。大蛇の長は大百足の本拠は三上山にあるけれど、毎晩決まった時間に湖の宮殿にやって来るので、それまでそこで待ち伏せた方が良かろうと答えました。

 ということで秀郷は橋の下の水底にある大蛇の長の宮殿に案内されることになりました。不思議なことに、秀郷が長について行くと彼らの行く先の水は分かれ、大水を渡る時でさえ着衣に湿り気さえ感じませんでした。湖の水底の白大理石造りの宮殿は、これまで見たこともないたいそう美しいものでした。秀郷は、海の底にはたくさんの海魚の家臣や家来が働く海王の宮殿があるという話を幾度となく聞いたことがありましたが、琵琶湖の真ん中の水底にも斯様に壮大な宮殿があったのです。しかも上品な容姿の金魚や錦鯉や銀鱒が大蛇の長と秀郷に給仕をしてくれます。

 秀郷は彼のために用意されたさまざまな豪華なごちそうにびっくりしました。お皿は水晶がぴかぴか光る蓮の葉と花でできており、お箸は珍しい象牙でこしらえてありました。秀郷と大蛇の長が席に着くと、引き戸が開け放たれて、箏と三味線を奏する鯉の楽団を従えて、十匹のかわいらしい金魚の踊手が現れました。

 こうして夜が更けるまで時が流れ、美しい音楽と踊りで大百足のことはすっかり忘れてしまいました。大蛇の長が秀郷と新しい杯で乾杯をしようとしたそのときです。そうは遠くないところで、いかにも強大な軍隊が行進を始めた靴音が響き渡り、宮殿を揺るがし始めたのです。

 秀郷と大蛇の長はすぐに立ち上がり、急いで物見台に向かいました。そこで秀郷が見たものは、巨大な二つの火の玉が向かいの山の上から次第に近づいてくるところでした。大蛇の長は秀郷の傍らに立って震え上がっています。

 「百足です、大百足です。あの二つの火の玉はやつの目玉なのです。餌食を求めにやってきたのです。さあ、今こそあいつを退治するそのときです」

 秀郷は長の指し示すところを見ました。すると、わずかな星明りの中、二つの火の玉の向こう側に、山々をぐるぐる巻きにした大きな大きな百足の長い長い胴体と、遙か灯りのようにきらめきながら岸に向けてゆっくり動く無数の足が目に飛び込んできました。

 秀郷は少しも怖れません。彼は慌てている大蛇の長を落ち着かせてこう告げました。

 「怖れてはいけない。私があの大百足を必ず退治いたしましょう。今すぐに私の弓と矢を持って来てください」

 長はその命を聞くとすぐ弓と矢を携えて来て秀郷に渡しました。

 「うっ、う~む・・・」

 彼は矢筒に矢が三本しか残っていないことに気づきました。

 「くっ」

 彼は弓に矢を番え、慎重に的を定めるや、ヒョウと射放ちました。

 「たあっ」

 一本目の矢は大百足の額の真ん真ん中に命中しました。しかし刺さったり瑕を与えることもなく、矢がらの真ん中で折れ、空しく地面に落ちてきました。

 「何っ。うん、く~っ」

 秀郷はこれに臆すことなく二本目の矢を採ると、弓に番え、射放ちました。

 「う~ん、たあっ」

 この矢もまた大百足の額の真ん真ん中に見事に命中しました。しかし今度の矢は、やじりも矢がらも矢羽根もばらばらになって、やはり空しく地面に落ちてきました。

 「な、何と」

 この大百足のバケモノは天下一の使い手の秀郷の得道具をもはじき返す難攻不落の怪物なのでしょうか。大蛇の長はこの勇猛な武人の矢を以ってしても、大百足の命を奪うに力足らぬのを目の当たりにするや、落胆し、恐れ戦きはじめました。

 秀郷は彼の矢筒の中にただ一矢のみ残っているのを見て、この一矢が空しく終われば大百足の退治が出来ぬことを悟りました。彼は湖の水面に目を落としました。

 秀郷のその姿を見ると、大蛇の長は落胆のあまり忌まわしい大蛇の体に変わり、その胴を七度も山に巻き付け、今にも湖に落ちてしまいそうに弱り始めました。大百足は目をぎらぎら光らせながら秀郷にどんどん近づいて来ます。その数限りなく光った足も湖の中で輝きを増し始めました。

 そのとき秀郷は百足退治には人の唾が効く、と聞いたことがあるのをふと思い出しました。でもこれは大百足のバケモノです。こんな巨大な恐ろしいものがいるのかと思うほど想像を絶する怪物なのです。秀郷は最早これまでと心に決めました。そして最後の矢を採り上げると、彼は最後のその矢のやじりを口に含んでたっぷりと唾をつけ、弓に番えました。

 「南無八幡大菩薩!くうう~っ」

 そうして、もう一度注意深く狙いを定めて、射放ちました。

 「たああっ」

 これもまた大百足の額の真ん真ん中に見事に命中しました。

 しかし前の二つの矢と違って、眉間の的を射貫いて、その矢羽根を僅かに見せるばかりに深く突き立ちました。大百足は胴体を激しく痙攣させながら曲がりくねってのたうち回り始めました。そしてその身体を湖に激しく打ち付け、天にも届くかと思われる飛沫を空高くはね上げて悶絶しました。

 火の光を放つ大きな二つの目と光を帯びた千万の足は闇と光を交錯させ明滅し、それは天と地とを見間違うほどのめくるめく電光石火の光景でした。そして暗黒が天を覆ったかと思うと、空は一面にかき曇り、稲光が走りいかづちが落ち、先ほど大百足が苦しみのあまり身体を湖に打ち付けてはね上げた水が大滝のように降り注ぎ、あっと言う間に宮の周りの湖の水嵩が上がってきました。そして大風が吹き激しく渦巻き始めました。地上にあるものは天高く舞い上がり、低いところにあるものは大雨に流されています。それはあたかもこの世の終わりを思わせるありさまでした。

 こうした混沌の中でも秀郷は落ち着いています。弓は捨て、伝家の大太刀の柄に手をかけ、目前まで迫った大百足の動きを注視し、次の敵の攻撃に備え、しかも反撃の機会を窺っていました。すると大百足はその頭を天高く上げたかと思うと、次いで激しく地面に打ち据えてきました。それは宮殿を礎から大きく揺るがし、大蛇の長とその子らと家臣たちは宮のそれぞれの場所に身を屈め、次の瞬間には自らに紛れもなく襲い掛かってくるであろう死を前にして、あまりの恐怖のために頭をかかえ、目を伏せ、体を丸めて震え戦いていました。

 大百足が地面に打ち付けたその頭をもたげようとしたそのときです。その大きな二つの目の中に燃えさかる火の光と明滅していた千万の足の灯が嵐の日の日没のように不意に陰り始めました。その光はゆっくりと力を失ない、鈍くなり、ついにふっと消えていきました。それは大百足の最期でした。この大百足の断末魔の一部始終を見届けたのは勇猛果敢な秀郷ただ一人だけでした。

 おぞましい夜も終わり、東雲が朗らかに明けて来ました。東の山々の隙間から明るい陽光が差し込み、その曙光が山頂に届き始めた三上山に、あの大百足の姿は見えません。目に痛いほど青く美しく晴れ渡り、空気の澄み切った爽やかな夜明けです。

 秀郷は宮の皆に物見台に出て来るよう声を掛けました。大蛇の長を先頭に、その一族、宮に仕える全ての住民たちが恐る恐る物見台に上がって来ました。秀郷は彼らに向かって湖を見るよう指し示しました。

 皆が一斉に秀郷の示す方角を見ると、あの大百足が己が血で湖水を真っ赤に染め、その水面に死骸を浮かべていました。秀郷が口に含んで唾をたっぷりつけて放った最後の一矢が、大百足の眉間の真ん真ん中に突き立ち、その矢羽根に使われた朱鷺の風切り羽が朝日を浴びて白金色に光り輝いているのが見えます。秀郷が渾身の力と全身全霊を籠めて放ったこの矢は大百足のバケモノの脳みそに致命傷を与えたのです。長たちが恐れた大百足は秀郷に退治されたのでした。

 大蛇の長の秀郷への恩に報いる心は留まるところを知りません。宮にいるすべての者が秀郷の前にひざまずきにやってきて、彼を一族郎党の救済者、日本一の勇者と呼び、讃えました。

 長の宮殿に着いたときよりさらに贅を尽くした新たな宴が準備されました。活け作り、煮付け、煮込み、炙り焼き、揚げ物などなど考えられるすべての料理法であらゆる種類の魚が珊瑚の大皿や水晶のお皿に盛られ、彼の前に用意されました。またお酒も秀郷がこれまでに味わった中で最もおいしいものでした。まばゆい太陽の美しい輝きに加え、湖の水面は液体のダイヤモンドのように光りを放ち、昼の宮殿は夜のそれとは比べものにならない、言葉にできない、すばらしい美しさを放っていました。

 大蛇の長は秀郷にいつまでも宮殿に留まるように勧めました。しかし秀郷はやるべきことが終わったので帰らねばならぬと言い、都の家へ帰還すると言って言葉を曲げません。大蛇の長と彼の一族は、そんなにすぐに彼を帰してしまったのでは申し訳ない、恩を報いるいるに遙かに値しない、と恥ずかしく思いました。彼が宮を後にしようとすると、彼らが言うには、忌まわしい大百足から大蛇の一族を永遠に救い出してくれた感謝とそのお礼の気持ちとして、ささやかで形ばかりのものではあるけれど、秀郷に贈り物を受け取って欲しいと願い出ました。

 今まさに出立せんと秀郷が表に立つと、表に整列していた魚たちは、突然立派な正装の衣に竜の冠を付けた人間の従者へと姿を変えました。彼らは大蛇の長の家臣と家来たちで、秀郷の前に跪き、贈り物を携えて来て、その目録を言上しました。

一、銅鐸(大)一基
一、米袋 一袋
一、絹 一反
一、料理鍋 一鍋
一、鐘 一口

 秀郷はこうした贈り物はみないらぬと拒みましたが、大蛇の長がどうしてもというので、断り切れませんでした。

 大蛇の長は美しい琵琶湖に懸かる、あの「勢多の唐橋」まではるばる秀郷を見送って、いよいよ別れの時には何度も何度もお辞儀をして、重ね重ねお礼を述べると、家来たちを行列させ、贈り物と共に彼の家まで随行するよう命じました。

 行列が京の山中にかかろうとした時、秀郷が勢多の唐橋の方をふり返ってみると、秀郷への感謝の深さが遙かに足らぬかを示すごとく、大蛇の長とその一族がまだ深く頭を垂れている姿が見えました。

 前の晩、琵琶湖の方にひどい竜巻と嵐があったのを遠目にしていた都の秀郷の館の家来たちは、秀郷が夜遅くなっても戻ってこないのを知って大変心配していました。家来たちは秀郷はきっとあの恐ろしい嵐に遭って、どこかに身を隠しているのであろうと考えていました。館の物見の郎党が主人の秀郷が戻ってきた姿を遠目に見つけると、家の子たちは勇者が戻ってきたぞ、と口々に皆に告げて回りました。そして皆が主人を迎えに表に出ると、秀郷を先頭に彼に付き随い、旗竿を立てたり贈り物を担いだりした沢山の従者の行列がやってきます。家来たちは、それを見て不思議に思って眺めていました。

 大蛇の長の家来たちは贈り物を届けるや、どうやったのか突然皆の目の前から消えていなくなりました。それを見た秀郷の家来たちは余りの奇怪なことに驚きの声を上げ、何事が起きたのかと囁き合うのでした。そこで秀郷は彼の身に起こった不思議な出来事を家の子郎党にして聞かせました。

 さて、その後、秀郷が大蛇の長から受け取った贈り物は不思議な力を表し始めました。鐘はまったく普通のものと変わりないのですが、わざわざそれを叩く者を置かなくとも、お寺の近くに下げておくだけで、自ら大音量をもって近隣に正確な刻を告げるのです。

 米の袋は単衣のつましいものでしたが、騎馬武者の秀郷と彼の家の子郎党の食事のために毎日それを用いても、中のお米は決して減らないのです。つまり、袋の中身の米は決してなくならないのです。

 絹の反物もまた、決して短くならないのです。新年の慶賀で宮中へ参内するにあたり、秀郷が衣服を新調するに用いても、切り残したその端切れは時が経つと元通りの反物になっているのです。

 料理鍋も素晴らしいものでした。鍋の中に食材を入れて置きさえすれば、火にかけなくとも、調理のために人を雇わなくとも、いつの間にやら食べたいと思った時に食べたいものがおいしくできあがっているのです。その鍋は本当に役に立ちました。

 秀郷の武勇と富とその名声は都はもちろん日本国中、遙か遠くの津々浦々にまで響き渡りました。しかも秀郷はお米や反物や薪炭にお金を費やす必要が一切ありません。彼はお金持ちとなり、そのお金で家族を養い、また多くの家来を雇い入れ、恵まれぬ人にはお布施をするばかりか、これで驕り高ぶるようなことは決してありませんでした。

 それより後、いつしか彼は「米袋の君」と呼ばれ、誰にも知られ、誰からも尊ばれ親しまれる立派な人になったということです。

(完)

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