I. The Cup of Humanity ― 人間の器
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The Taoists relate that at the great beginning of the No-Beginning, Spirit and Matter met in mortal combat. At last the Yellow Emperor, the Sun of Heaven, triumphed over Shuhyung, the demon of darkness and earth. The Titan, in his death agony, struck his head against the solar vault and shivered the blue dome of jade into fragments. The stars lost their nests, the moon wandered aimlessly among the wild chasms of the night. In despair the Yellow Emperor sought far and wide for the repairer of the Heavens. He had not to search in vain. Out of the Eastern sea rose a queen, the divine Niuka, horn-crowned and dragon-tailed, resplendent in her armor of fire. She welded the five-coloured rainbow in her magic cauldron and rebuilt the Chinese sky. But it is told that Niuka forgot to fill two tiny crevices in the blue firmament. Thus began the dualism of love–two souls rolling through space and never at rest until they join together to complete the universe. Everyone has to build anew his sky of hope and peace.
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中国や朝鮮では、中国古代の伝説の王、黄帝の時代の神話・伝説を起源にして、後の老荘思想を中心に儒教、民間宗教及びその他の宗教の長所を習合させた道教(タオ)という宗教が盛んです。もちろん日本にも伝わっています。
タオは、この伝説の王・黄帝を天として、陰陽五行易学、因果律と宿命・運命論に基づき、「忘我、無為」「無為而無不為」「心静如水」などという言葉で語られる無為自然思想と、不老不死を求める仙界・神仙渇望に満ちた世界観を持っています。これは長生と財徳、均衡的共生を重んじ、故に呪詛と託宣と方術を信奉するといった社会風潮をもたらし、その波動が行き詰まると、社会は革命という天の命運によって変革されるという社会的宿命・運命論にも繋がっています。
このタオの教義をざっとわかりやすく言えば「すべてのものごとは目的も目標もない存在のみであり、その存在には始まりも終わりもなく、ただ変化が均衡しながら運動し、それが先天的な宿命と後天的な運命によって明暗を左右されて波動している」という考えです。
さらに頑是無い説明を加えましょう。すなわちタオとは「人智の及ばぬこととは人智の及ばぬことそのものであり、人智の及ばぬが故に人智が及ばぬのである。人智が及ばないのだから、人智を及ぼそうとしても(たとえば、善悪、優劣、上下、選ぶも選ばれぬ、などなど)それは無駄なことである。ただし、人智の及ばぬそれ(天の意志のようなもので自無為自然な何かの運動)には波(運命・宿命)がある。だから人はこの人智の及ばぬその波に乗って、人智の及ばぬ波の力に従い、それを利用することが肝要だ。すなわち人智の及ばぬそれの波に乗ればよい。人生とはすなわちこのことであり、その波に乗るも乗れぬも落ちるも乗り切るも利用するもせぬも、これまた人智を超えたものである。だからジタバタしても始まらない。自然に任せるしかない。したがって人は人智の及ばぬということをよくよく信じ理解し、人智の及ばぬそれの波(宿命・運命)の大きさと動きとリズムと力を知り見分けてバランスよく乗ることができさえすれば、すなわち宿命・運命をさえも左右できる。だからそれに乗る直感(=理)とワザ(方術)を身につけよ。さすれば、すなわち、それを創造した天(無為自然なる何か)に限りなく近づける」とする宇宙・宗教・社会・人生論なのです。
道教を信じる人々は以下のように説きます。
「さて、まだ私たちの世界が混沌(始まりのない偉大なる始まり)にあったころ、天にあって魂に命を与え「陽気」を司る黄帝と、地にあって万物を支配し「陰」を司る地帝(祝融)の二人の帝がせめぎ合っていました。このせめぎ合いはとどのつまり、黄帝(天皇大帝<天帝>とも言います)が、「陰気」と地の魔である地帝を打ち負かし決着が付きます。しかし、その際、敗れた巨人・地帝は臨終の苦しみに悶絶し、太陽のある天球にその頭を激しく打ち付け毀し、その蒼穹のかけらの中をのたうち回りました。ああ、悲しいかな、こうして天球をなくした星々はその身を隠す場所を失い、地帝によって打ち割かれた底知れぬ暗闇の深淵に、月は行き場を失い当てどなく彷徨いました。
こうして己が勝利により皆が苛まれる姿を目前にし、自らの無力に絶望した黄帝は、この地帝の毀して崩れ落ちた天球を修復できるものがないか、あらん限り八方手を尽くして探し回りました。しかし残念ながら帝の願いを叶えられるものを見出だすことはできません。
帝がこうして困り果てていた折、遙か東の海の彼方の国の女王で、麒麟の角と龍の尾を持ち炎の鎧を身に纏った女神、女娲(にゅうか)が現れます。女娲は己が魔法の大釜で五色の虹を溶かし出し、中国の毀れた空を修復します。ところが、女娲はその際、蒼天の裂け目を二つうっかり埋め残して作業を終えてしまいました。その埋め忘れた二つの裂け目とは、二つの愛、すなわち希望と平和でした。
こうして希望と平和の二つの魂はそれぞれ決して休むことなく大空を自由気ままに駆け巡り、離ればなれな状態が始まりました。ただし、ということは、天のこの二つの裂け目を埋める、すなわち平和と希望で裂け目を埋めることができさえすれば宇宙はまた再び一つにまとまり完成するのです。ですから、私たちは天に欠けているもの、すなわち平和と希望を自ら胸に持って、未完成の大空を完成させなければならないのです」と。
▼▽▼▽▼ 掲載日 ▼▽▼▽▼
02feb2013