虞美人草
2013年5月13日 Leave a comment
崖下にぞ自づと萎れ虞美人草
秋村
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がいかにぞ おのずとしおれ ぐびじんそう
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– at the bottom of the slope
– field poppy flowers
– lost their color and paled
– into once-soaring popularity
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〔難読語・難解語など〕
ぐびじんそう【虞美人草】:ひなげしの別名。
ながみひなげし〔長実雛罌粟〕:一年草。茎の高さ20~60cm、
維管束植物で双子葉・離弁花類のケシ科のヨーロッパの地中海
沿岸を原産地にする帰化植物。1961年に東京の世田谷で確認さ
れ以後、全国に広がる。アルカリ性土壌でよく生育し、また温
暖で日当たりのよい乾いた場所を好むことから、道路に多用さ
れるコンクリート(石灰岩を原料とするためアルカリ性)などに
根を張り、ひとつの芥子坊主に千~二千粒の種子をつけること
から、大繁殖している。国立環境研究所が指定する侵入生物。
ぐびじん【虞美人】:中国の古代王朝・楚の国の国王、項羽
の愛人の名。常に項羽に付き従い幕営にあった。垓下[がいか]
で項羽が劉邦と対峙したとき、劉邦に囲まれた項羽は「四面
楚歌」の故事の事態に出会う。項羽は故郷の楚が劉邦に降り、
劉邦の兵となり自分たちを囲っていることを知ると、愛馬・
騅と愛妾・虞美人を呼び寄せ、「最早これまで」と最後の酒
宴を開き、別離の詩「垓下の歌」を詠じた。
力拔山兮氣蓋世 力山を抜き 気世を蓋う
時不利兮騅不逝 時利あらずして 騅逝かず
騅不逝兮可奈何 騅の逝かざる 奈何すべき
虞兮虞兮奈若何 虞や虞や 若を奈何せん
を滔々と吟じた。虞美人は項羽の覚悟の詩を聞き和して舞っ
たが、その詩の中で「自分が討ち死にしてしまうのは仕方が
ない、しかし、ああ、愛する虞の身はどうなることか心配で
たまらない」と嘆じる自分のことを心配する項羽の七言「虞
や虞や 若(なんじ)を奈何せん」が含まれているのを聞くと、
舞い終わるや否や、足手まといにならぬようにと頸部を切り
自死した。その自害の血の滴った場所に雛罌粟の花が開いた
といわれる。その後、項羽は少ない手勢で囲みを破るが、追
走され揚子江のほとり烏江に追い詰められるや、自ら頸を刎
ね自害する。この項羽の死により、楚と漢の天下統一の争い
は終結し、漢帝国が登場するのであった。
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(13may13)