‘The Book of Tea’_003

book of tea-ikenouchi

I. The Cup of Humanity ― 人間の器

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The long isolation of Japan from the rest of the world, so conducive to introspection, has been highly favourable to the development of Teaism. Our home and habits, costume and cuisine, porcelain, lacquer, painting–our very literature–all have been subject to its influence. No student of Japanese culture could ever ignore its presence. It has permeated the elegance of noble boudoirs, and entered the abode of the humble. Our peasants have learned to arrange flowers, our meanest labourer to offer his salutation to the rocks and waters. In our common parlance we speak of the man “with no tea” in him, when he is insusceptible to the serio-comic interests of the personal drama. Again we stigmatise the untamed aesthete who, regardless of the mundane tragedy, runs riot in the springtide of emancipated emotions, as one “with too much tea” in him.  

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徳川時代の三百年にわたる長い鎖国は、わが国にとって自らと自らの社会を熟考するに十分な時間を与えてくれました。この鎖国は、結果的に「茶」の発展に大きく寄与しました。私たち日本人の住まいや習慣、衣装、料理、陶器・磁器、漆工芸、書画、そして文学作品に至るまで、文化のあらゆる方面に「茶」の影響が浸透しました。日本文化を学ぶには、「茶」が与えた甚大な影響を無視して進めることはできません。茶の影響は高位の身分のご婦人の独居室、すなわち「閨房」に品格と品位をもたらし、また庶民の雑魚寝大部屋の造作にも取り入れられてゆきました。そして驚くべきことに全国津々浦々、辺鄙の農民までもが華道の精神と心得を学び、力仕事の土方・人足でさえ水石・山水の趣きを承知していて、上役の差配を待つまでもなく自ら案を提じ、按配することができるほど、民度を高めるのに貢献しました。

 さて、私たち日本人はよく、某人を称して「あの人は、茶気(ちゃき)に欠ける」ということがあります。「茶気」は、もちろん、侘茶の目標として、武野紹鴎が残したという「連歌は枯れかじけて寒かれと云ふ。茶の湯の果てもその如く成りたき」という言葉や、その弟子の千利休が弟子の矢部善七郎宛に送ったといわれる書状に認めた「侘数寄常住、茶之湯肝要」の十文字に充満している茶道の心得のことです。深奧を解せぬものには、単に「風流を好む気質」と説明されています。字義の詮索はこのくらいにして、この「茶気に欠ける」という言葉が、いったいどういう人に用いられるかと言うと、つまり人、人の生き様とは「真面目なものでありつつ滑稽なもの」であるという、いわゆる諧謔を解さぬ、鈍感で人情に通じない人、現代風に言えばユーモアを理解できない人をさして言います。

 また一方、私たちは自らの意や思うに任せるばかりで不粋な審美眼しか持たぬものにも、この「茶気」という言葉を用います。この場合は「あの人は、茶気満々だ」という揶揄の効いた表現をします。これはまた「茶る」とも言われます。この「茶る」人や「茶気満々」と呼ばれる人たちは、どういう人たちかと申しますと、たとえば日常の中にある悲しい出来事(すなわち四苦八苦、煩悩の苦しみ)に直面している人やそれを慮る周囲の人々の中にあって、渦中の当人や会衆の感情を無視して、無神経な物言いをしたり、無頓着であったり、意に介さなかったり、また、あまりに政治的・社会的抑圧や束縛から感情的に自由になりすぎて、即ち、野放図で野暮になって、周囲から浮き上がっている自らに気づかないまま、調子に乗って有頂天になってふざけ事を言ってみたり、おどけてみたり、騒ぎ廻ったり、もっと言ってしまえば、人心の自然の動きに逆らう、人の心を踏みにじるような言動をする、人情の機微に欠けた人のことをいいます。  

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03jan2013  

褞袍

2013010302

ひとり身に綿をかぶるはててらかな


秋村

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ひとりみに わたをかぶるは ててらかな   

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– in ancient days
– the bride covered her head
– with snow-white cotton
– now i have only a wadded long-jacket   

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〔難読語・難解語など〕

どてら【褞袍】:(「ててら」の変化という)普通の着物よりも
やや長く大きめに仕立て、綿を入れた広袖のもの。防寒具ま
たは寝具として用いる。丹前(たんぜん)とも。寝具に使う場
合は夜具(やぐ)、掻巻(かいまき)という。ちなみに「ててら」
は襦袢(肌着)のことで、男性の下着の褌(ふんどし)も「てて
ら」という。また「父ら」を「ててら」と読んで「父親」を
表す。  

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(03jan13)  

初春

2013010301

いつか春あはゆき初めそことほがむ


秋村

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いつかはる あはゆきそめそ ことほがむ   

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– i am afraid
– i survive
– just a year
– once again   

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(03jan13)